■教育研修委員会 戦国地方武将の庭を観る
教育研修副委員長:荒川 昭男

 平成15年11月22日(土)〜23日(日)にかけて、教育研修委員会では、庭園部会に呼びかけ、秋の紅葉を満喫しながら、戦国時代の武将庭園の見学研修に出かけた。

 研修は鈴木会長をはじめ庭園部会、緑支部、事務局から各2名が加わり総勢16名が参加した。今回は、『戦国地方武将の庭』シリーズの最終回として、三重県の「北畠氏庭園」の見学を主として、伊賀上野城や名古屋城の見学も含めた。

 平成6年「福井一乗谷朝倉邸庭園」、平成10年「滋賀県朽木秀隣寺庭園」、そして「北畠氏庭園」と三大「戦国地方武将の庭園」といわれている庭の研修はこれで完結した。それは一人の戦国武将の足跡をたどる研修でもあった。
 その武将の名は、細川高國。高國は、42歳の時に一時出家した経歴を持つ人物である。もし、高國が武将ではなく僧侶を全うしていたら、夢窓疎石や雪舟に劣らない石立僧として、後世に数多くの名庭を残していたのではないかと思う。
 北畠邸の立石と、孝景の時代に造られた湯殿跡庭園の立石の雰囲気が非常に似ていることから、朝倉邸にも高國の影響が多少あったのではないかと思われる。

 南朝の信任が厚かった北畠氏は南北朝後も伊勢を領し、1576(天正4)年織田信長に滅ぼされるまで、北畠の本拠霧山城下は大変賑った町であったらしい。娘の嫁ぎ先であった北畠を訪ね、庭を造り終えた翌年に高國は、摂津で澄元との戦いに敗れ、尼ケ崎の紺屋の藍がめに潜んでいるところを捕らえられ首を刎ねられる。今、北畠の庭には我々以外の人もなく、庭全体を静寂が支配している。

 複雑に入り組んだ池の周りに、荒ぶれたというか、挑発的とでもいうか、観る者を圧倒するように石が力強く組まれている。その石肌の幾重もの苔サビが歴史の長さを感じさせている。
 「……兵どもが夢の跡」と詠まれた、義経終焉の地奥州での芭蕉の句を連想させる雰囲気に包まれる。翌日、その芭蕉生誕の地、伊賀上野を訪ねた。

 今回の研修は、往復バスを利用することになった。途中の車内での時間をどのように過ごすかが問題となったが、鈴木会長が飽きのこない道中をいろいろ用意してくださり、車中大変楽しく過ごすことが出来た。また、参加者全員の、楽しい研修にしたいという気持ちが一つになった思い出に残る研修であった。



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