■産廃の島から未来へ瀬戸内オリーブ・ネットワーク

 現在「瀬戸内オリーブ・ネットワーク」として続けている植樹運動のことをお話したいと思います。これは弁護士の中坊公平さんと私とが発起人となり始まった運動で、瀬戸内海沿岸にオリーブなど環境に適した樹木100万本を植えていこうとするものです。

 中坊さんは、森永砒素ミルク事件、豊田商事事件、住専問題など、これまで一貫して社会の不合理や矛盾と闘ってこられた方です。その中坊さんが瀬戸内海に目を向けるきっかけとなったのが、香川県豊島てしまに不法投棄された産廃問題でした。長年にわたりこの問題と闘ってきた島民から1993年秋に依頼を受けた中坊さんは、公害調停で住民側弁護団長を務めてきました。
 そして2000年6月、ついに国は、約50万トンにも及ぶ産業廃棄物を2016年までに撤去し、島外で無害化することを確約したのです。長年の懸案であった産廃問題がようやく一つの区切りを迎えることができたわけですが、次に人々の頭を悩ませることになったのが、調停成立後の島の未来、即ち「いかにして失われた自然環境を回復するか」という大問題でした。

 中坊さんと私とは、阪神淡路大震災の被災地に緑を取り戻すために「ひょうごグリーン・ネットワーク」という植樹運動を一緒に続けてきていました。その記念の会で対談したとき、中坊さんはこんなことを漏らしたのです。

 豊島を、昔みたいな緑のぎょうさんある豊かな島に戻したいねん」

 私もまた、多島海と呼ばれる瀬戸内海には特別な思いがありました。少年の頃よく泳いだ海と浜続きで、美しい海景を身近にしていましたし、大人になってからは、その沿岸でいくつもの仕事に関わってもきました。豊島をはじめ瀬戸内の島々が、石材や埋め立て用の土砂採掘跡などによって痛々しい姿を晒している現状は、ずっと気にかかっていたのです。ですから私は、中坊さんの問題提起に、即座に反応しました。対談の終わりにはもう、豊島などの瀬戸内海の離島を主な対象区域とする新たな植樹運動基金設立の構想が生まれていました。こうして、瀬戸内オリーブ・ネットワークが始まったのです(上画像)。

 シンボル・ツリーとしてオリーブを選んだのには、いくつか理由があります。まず、それが瀬戸内海の乾燥した気象条件や荒地での栽培にも適している点。次に、豊島のすぐ隣の小豆島が、その日本での栽培発祥の地とされているという点。そしてもう一つ、オリーブは食品やオイル、化粧品などさまざまな用途で用いることができますので、それを計画的に栽培することによって、将来的には豊島の地場産業として地域の活性化につなげることができるのではないかという期待もありました。運動のネットワークを拡げ、社会的な出来事として組み立てていく。これによって2倍、3倍の効果をもたらすよう考えたわけです。実際、小豆島などでは第一次、第二次、第三次産業のいずれにおいても、オリーブ関連産業の占める割合が大きい。ただしオリーブ単独種での植樹ではいくつかの点で不安があるため、植樹はその場の植生を考慮に入れてその都度樹種を選定することとなりましたが、まとまった植樹の際には必ずオリーブを数本植えることを約束事として取り決めました。

 対談から4カ月目の2000年11月に行われた植樹大会で、基金発足が宣言されました。このとき最終目標として植樹100万本を設定しました。一見して現実味のない数字と思われますが、これは運動を短期の、1回限りのイベントとしてではなく、継続的に続けられていくものとしたい、という私達の思いの表れなのです。

 実は、オリーブ・ネットワーク運動の目的は、木を植えていくことだけにあるのではありません。たとえ100万本を達成できたとしても、環境再生、自然の回復というには程遠いでしょうし、またその効果が現れてくるまでには気の遠くなるような時間を要するでしょう。それほど簡単な問題でないことはわかっています。

 けれども、このような運動が存在し、自然を取り戻す努力が続けられているのだという事実によって、何人かの人の意識に働きかけることはできます。現在の消費文化ではない、自然と共に生きる生活もあるのだというメッセージを伝えることはできるのです。木を植えて、育てていくという過程を通じて、自然と同時に人間も育っていく。特に植樹とその生育に力を尽す子供たちの意識は必ず環境保全に向けられていくことでしょう。木を育てる過程で、子供たちの情操や感性が育まれてゆくこともあわせて期待しています。このような人々の意識改革こそが、オリーブ・ネットワーク運動の主題なのです。

 ジャン・ジオノという人が半世紀近く前に書いた『木を植えた男』という本があります。そこには自然回復に生涯を捧げ、死ぬまでひたすら木を植え続けた一人の農夫の人生が描かれています。この老農夫のように「粘り強く、無私な行為」を実行することは、現代に生きる私たちにはなかなかできません。ただ、皆で小さな力を出しあってネットワークさせれば、必ず世の中を変えていくことができるはずです。

 環境再生へのアプローチは小さなアプローチの積み重ねでしかあり得ません。その最初の一歩を踏みだすことこそが、現在私たちにできる最も確かな選択なのです。

 現在は運動の発展と継続のために東奔西走しているところですが、気がついてみると、週の大半をこの運動のために費やしているようなことが少なくありません。ボランティアなどというと聞こえはいいのですが、結局やっているのは、公共の場所や他人の土地に木を植えるということなのですから、必ずしも喜ばれるわけではないのです。月に2,3回くらいは、必ずクレームの電話がかかってくる。大抵は植樹後のメンテナンスのことで、落ち葉が汚くて嫌だとか、水やりの問題だとか、とにかく木を育てていくその過程で迷惑を被ると感じる人がいるのです。呼びかけて賛同者を募る一方で、こういったクレームへの対応も疎かにはできません。私ばかりでなく、事務所の中にもいつのまにかこの運動に巻き込まれてしまったというスタッフがおり、運動の展開とともに生じてくる諸々の問題に頭を悩ませています。呼びかけた手前、ある程度の責任を被るのは仕方がないことですが、本業はあくまで建築ですから、やっぱりきつい。

 しかし、こうやって社会に事件を仕掛け、当事者としてその渦中に身を置いていくことが、一方では、私自身が生きていく上で刺激となっていることもまた事実です。無理は承知で、何とか100万本を達成してやろうと頑張っています。(連戦連敗より抜粋)

◎30周年記念式典委員長 帖佐寛豪
 協会創立20周年の時に阪神淡路大震災があり、協会の記念事業で寄付をさせていただいた。その震災の復興実行委員長である安藤氏が、30周年の式典においで下さり、有意義な話を実に楽しくわかり易く、熱く語って下さった。大震災より十年後の今もなお、鎮魂の象徴である白い花の植樹を続けておられる姿勢には頭が下がる想いです。

 このたびの30周年を瀬戸内オリーブネットワークに参画出来たことを心からうれしく思い、この運動を通して環境と再生"についてもう一度考えていきたいと思っております。

2005.2.14講演会の日の安藤忠雄氏
◎ブックレビューコーナー                      東京大学出版会 編集担当 長谷川
 『建築を語る』と『連戦連敗』の二冊の本は、安藤忠雄先生が東京大学大学院でおこなった講義をまとめたものだ。『建築を語る』に収められているのは、東大へ赴任されたあと最初に開講された講義である。自身の半生をたどり直すなかから、建築へ取り組む姿勢と思想をあますところなく語る。それはそのまま、建築を学ぶ学生たちへの熱いメッセージとなっている。

 それから二年後に刊行されたのが『連戦連敗』である。この本では、自身が設計競技(コンペ)へ挑戦してきた軌跡が軸になっている。課題となる土地を読み込み、知恵をしぼり、数カ月にわたり没頭して創りだした渾身の設計案を提出しても、落選してしまえば、それっきり。それでも著者はあくなき挑戦をつづけ、ついに当選を勝ちとる。実現されなかった設計案への思いや、環境時代の建築のあり方など、つねに建築を社会との関係のなかで考えてきた著者の思想をあますところなく伝える希有な建築論である。



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