■ここに人あり
株式会社サカタのタネ 代表取締役社長:高橋 英夫氏

今回は、超多忙を極めていらっしゃる、潟Tカタのタネ社長・高橋英夫氏を、松本情報委員長が訪ね、神造協の会員でもいらっしゃる高橋社長はどのような方なのか、じっくりとお話をうかがいました。

 花と緑にあふれた豊かな環境を創造する造園緑花事業や、青年時代のお話、長い海外生活で、心に残った国々などをご紹介いただいた。

(左写真:サカタのタネ・応接室でのインタビュー)
◎緑と花と
 当社の根本にある緑化に対する考え方の表れとして、「緑」だけでなく、緑と彩りを与える花を一体としてとらえていこうと、「緑化」を「緑花」とした造園緑花部があります。

 いま少しずつ具体化しはじめている校庭緑化、壁面緑化も、緑だけではなく花壇と一体化した色があることが望ましいですね。

 芝生も、日本芝と西洋芝を組み合わせる工夫も必要でしょう。造園でも、日本庭園と洋風庭園が組み合わさった、少し雰囲気の違った庭が必要になってきている時代ではないでしょうか。

 また、従来の平面の庭に対して、ニーハイガーデンといって、膝の高さの立体で見せる工夫をしています。現代にマッチしてなおかつ日本的なものを残せるようなものが出来れば、と思いますが……。

 いままで一所懸命努力して、豊かになり、欲しい物が自由に手に入るようになって、緑や花、庭といったものを求めはじめたのでしょう。少し違った"憩”を求める時代になってきた、と思っています。

 当社の造園緑化事業は、公共事業が少なくなる中で、技術革新、意識改革を進め、仕事がくるのを待ったり、人間関係で仕事を得たりするのではなく、「サカタはこういう技術、アイデアがある」という面で勝負をする少し違った角度でやってみたらどうか、と若くアイデアのある社員の教育に力を入れています。

 また、積極的に品質管理・向上にチャレンジして造園緑花部が他部署にさきがけて、ISO9001を取得しました。このことは全社員の励みになりました。ISO取得は、対外的な証明証の役割りとともに、社内においての意識改革に結びつきました。これは大きなことです。
◎日本的な和

高橋社長は、誠実さとやさしさ
に溢れていました。
サカタの社員もかなり若返りましたので、創業以来90年が経ちますが、それまでに培ってきた種苗業者としての、いろいろな知識・経験などがチームや仲間の中で、先輩から後輩へ少しずつ伝わっていたのですが、そういう機能が失なわれかけているのです。もう少し、キチッとした形で次に伝えるシステムを作っていかなくては、と考えています。

 日本的な和といいますか、チームワークは仲間の誰かが脱落しないように皆で支え、助けながら仕事をする。しかし、海外生活が長かったせいか、私は、少し違うのではないか、と言っています。

 もう少し、個性を大事にし、個々人が能力開発、意識改革をし、自己の能力を高め、自分の得意とすることで自らが生かされるようにする。その上で和を作っていかないと、これからの世の中、特にグローバル化が進み、競争が激しくなっている中では勝てないのではないか、と思うのです。

 造園緑花部でも、今までと違った視点で仕事を見てもらうよう話をしています。
◎ 伊那谷から浜松そして北海道へ
 私の父親は、国鉄の病院に勤める放射線技師でした。生まれましたのは、長野県の伊那谷という天竜川のそばです。ここで小学校1年生まで自然の中で過ごしました。その後父の転勤で浜松に引越しました。それまでとまったく違った環境の浜松は、戦争で大きな被害を受け、焼野原で、索莫とした町でしたが、ホンダ、スズキ、ヤマハ、日本楽器などの工場が次々と建っていき、まさに工業化の先端を見て育ちました。ですから、工業関係の学校に進み技術を身につけるのが普通の夢でした。

 大学受験の時、北海道大学が東京で試験を行なっていましたので受け、合格。

 そこで考えました。どこか遠くに行ってみたい、という思いで、せっかく受かった北海道大学に行くことにしたのです。北海道の自然に包まれ、農学部を選びました。
 しかし、学業よりバスケットに明け暮れてしまいました。
◎サカタに出会う
 ですから就職の時に困り、担任教授が、造園科の教授に頼み、その教授が横浜の坂田種苗(現サカタのタネ)の創始者と親しく、同社が野菜の分野に力を入れはじめたので、野菜を専攻していた私を押し込んでくれたのです。

 私のモットーが「来るものは拒まず、去るものは追わず」で、入社して、外国に行くようになったのもそのためかも知れません。当時の社長からアメリカ行きを問われた時も、即座にOKしました。そして18年間外国に居ることになりました。

 その後社長が急逝し、私は呼び戻され、役員会で社長になれと。しかし私は、その器ではない、と断ったのですが、それでもと押されて「来るものは拒まず」で引き受けることにしました。
◎「誠実」が好き
 現在サカタでは、コンプライアンス(倫理・法令の遵守)を、外部の弁護士を加えて、体制の確立を進めています。

 商売をしていますと、言いづらいことが結構あるのです。しかし、「言わなくてはいけない」「キチッと説明しなくてはいけない」ということは、アメリカ時代に感化されたようで、強く意識しています。

 間違いが分かったら、「必ず直す」、これがサカタの創業時からの社是になっています。
 創始者は「ボクは商売が下手だが、ウソはつかないよ」と、はっきりした人でした。
 手前ミソになりますが、私はその点に於ては、この会社に合っているのかも知れません。
◎海外の拠点
 現在、世界の130カ国と取引きをしています。そして、18カ国で種子の栽培をしてもらっています。

 また当社では世界を@北・中米A南米B欧州・中近東・アフリカCアジア・オセアニアの四つの地域に分け、それぞれに関係会社を配し世界できめの細かい事業展開を行っています。

 気候や土壌条件が違っても、花は施設で作れるので環境コントロールが可能です。しかし野菜は、その土地に直接植え付けますからそこの土壌条件が違えば、条件に合わせた品種を必要とします。気候条件も重要です。

 その土地のニーズにあったものを、その地域内で作ることがベストなので、研究農場・研究施設も世界各地に置いています。
◎中米と中近東
エクアドル首都・キトの風景


コスタリカ・イラス火山


グァテマラ・ブロッコリーの収穫
 海外で一番興味深かったのは、中米です。

 小さな国が集まっていて、それぞれ特色があります。グァテマラの人たちは、見た目が日本人に似ており、また手先が器用です。彼らが作る織物は色鮮やかです。

 コスタリカは、同じ国の中でも標高差の違いからとれる作物がバラエティに富んでおり、トロピカルフルーツからコーヒー、じゃがいも、にんじんなどさまざまです。人も親切で、いい所です。

 そのほか、エクアドルなども行きましたよ。

 もう1つ、印象に残っている場所として中近東のイスラエル・ヨルダンがあげられます。両国の国境にヨルダン川がありますが、ここは農業の宝庫です。イスラエルの中に点在したパレスチナの村々は、彼らが豊かな土地を求めて住みついた所です。対して、ヨルダンはアラブの国の中でも金持ちです。宗教も利害も異なる人たちが共存していくのは、本当に難しいなと感じました。
◎インタビューを終えて
 サカタのタネさんが海外でグローバルな活動を展開されていること、また、自然との共生やその国々での共存を図るためのコンセプト・21世紀における指針等の一端をお聞きし、造園に携わる私どもにとりましても示唆に富んだお話でした。ありがとうございました。

 高橋社長の今後ますますのご活躍ご発展とサカタのタネさんのご発展を祈念いたしております。
◎高橋英夫(たかはしひでお)氏略歴
 昭和44年北海道大学農学部卒業 昭和44年坂田種苗株式会社入社 昭和62年SAKATA SEED AMERICA. INC.副社長 平成4年潟Tカタのタネ取締役 平成10年潟Tカタのタネ常務取締役国際事業本部長兼外国部長 平成11年潟Tカタのタネ代表取締役社長

 主な公職・平成12年(社)日本種苗協会常務理事 平成13年神奈川県種苗協同組合常務理事 平成12年(社)神奈川経済同友会幹事 平成12年(社)神奈川政経懇話会理事 平成12年(社)横浜貿易協会理事 平成12年(社)横浜市造園協会理事 平成12年(財)木原記念横浜生命科学振興財団評議員 平成12年日本バイオ産業人会議会員 平成14年フランス共和国農事功労章オフィシエ受章




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