松田良昭神奈川県議会みどり議員連盟副会長と地元戸塚の方々と合同で鈴木会長、山田県支部長、難波、渡邊理事を含め協会・日造協神奈川県支部関係者7名を含む総勢19名で神奈川県と友好提携を結んでいる中国遼寧省大連・瀋陽両市を訪れ、日露戦争、満州国時代の歴史・文化や清王朝時代の瀋陽古宮(王宮)と5月1日から開催されている2006中国瀋陽世界園芸博覧会の3泊4日の視察研修を行いその概要は左記のとおりである。 |
◇大連市内視察 |

【左側が大和ホテル】 |
大連は遼東半島の最南端に位置し良港を有しているため、貿易港として発展してきた。日本や韓国等の外国企業が積極的に投資し、北方の香港と呼ばれ、市の北東部には経済技術開発区があり、多くの日本企業が集まっており、大連における日系進出企業数は約2、500社、在留邦人2、823人である。大連の人口は560万人で、日本が造った満州国時代の南満州鉄道本社・病院、大和ホテル、中山広場等歴史的建築物が現在も活用されている。 |
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◇ 日露戦争ゆかりの地旅順を視察し、最大の激戦地203高知を訪れた。現在は植林され、緑豊になっているが当時は身一つ隠すことが出来ないよう禿山とし、上から機関銃で攻撃され甚大な被害を受けた様子が目に浮かび鎮痛の思いがこみ上げた。山頂には乃木希典将軍が戦没者を弔うために建立した璽霊山や子息の慰霊碑がありご冥福を祈ってまいりました。 |
又、東鶏冠山に築かれた日露戦争時のロシアの防御要塞跡である東鶏冠山北堡塁を視察した。各場所に大砲が設置され、入港してくる日本艦隊に砲撃を加えられた。
第1回旅順総攻撃では、壊滅的な損害を受けたが、究極の作戦としてトンネルを掘り地下から爆破して難航不落の要塞を陥落させた。203高知の陥落を受けロシア側からの停戦申し入れにより、1905年乃木将軍とステッセル中将の会談が行われた水師営会見所を視察した。 |

【旧南満州鉄道本社】 |
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水師営という地名は清の康煕帝が設けた軍の駐屯地の名に由来し、現在の建物は当時の資料を参考に忠実に再建されたもので日露戦争時の資料が展示されている。
今回の視察で中国の歴史認識と日本における認識とには大きな差が感じられたのは大変残念である。
午後松田先生のご配慮により国賓以外は通常入れない、中国首脳が夏季に会議や執務を執る景勝地棒垂島で昼食懇親会が開催された。 |
◇2006中国瀋陽世界園芸博覧会の概要 |
自然界と調和をとって共存する」を基本コンセプトに瀋陽植物園を拡大し総敷地面積5万を超える世界園芸博覧会史上最大規模である。建設工期は1年半、総工事費は5億元日本円にして約80億円、財源として二分の一を国、残り二分の一が民間負担、開催期間は5月1日から10月31日まで来場人員は当初1千万人を見込んでいたが現在一千六百万人に上方修正している。 |

【乃木将軍とステッセル中将との会見写真】 |
国内展示52、国際展示25、四大主要建築物として@風之翼A薔薇園(大型展示温室)B百合塔C百花館がある。
先ずゲート前の広大な花壇に目を見晴らされる。一行は神奈川県産業貿易振興協会山之井大連経済貿易駐在員の誘導を受け遼寧省の担当者から概要説明の後園内視察を行った。
園内は既存の瀋陽植物園を利用しているので白樺、松等多くの森林樹木に恵まれ原始森林の自然景観を描き出している。 |
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見所は、四つのテーマ館で、一つは、「風の翼」でメインゲートにそびえたつ巨大建築で鷲が翼を広げているところをイメージして作られており、中央の斜塔は傾斜角度14度で世界一と成っている。二つは、香り溢れる「薔薇園」で瀋陽市の花バラにちなんで作られた温室で約三千五百種類、一万株の花が咲き乱れている。三つは、「百花館」で扇形の面積一万二千uの展示施設に色とりどりの花が植えられ、中央に飾られている幅四十高さ十のモザイク壁画「浪漫時代」に五羽の鳩をモチーフに世界平和と自然の共存を表している。四つは、「百合の塔」で高さ百二十五、一輪の百合を模して造られた塔で広大な博覧会全体を一望できる。 |

【中山広場】 |
今回大変残念に思うのは、中国人の設計による日本の庭が出展されているが、日本の文化と伝統を伝える庭園とは思いもつかないもので訪れた人に誤解と失望を与えるのではないか。
短い時間ではあったが世界園芸博覧会を見学して中国の意気込みと計り知れないパワーが感じられた。 |
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◇ 園芸博覧会見学後瀋陽市内の清王朝初期の王宮で清の太祖ヌルハチと第二代皇帝ホンタイジの居所瀋陽故宮とヌルハチが眠る陵墓である昭陵を訪ねた。
◇ 三日間の視察であったが大変意義のある旅であり、今回の旅行を通して感じられたことは、日本で見聞きしている情報や姿とは想像できないほど中国の著しい発展と緑豊かで壮大な都市づくりが進展していることである。 |
(専務理事) |