■「三溪園」が国の名勝に

(財)三溪園保勝会  羽田 雄一郎

 横浜の生糸貿易商原三溪が門柱に「遊覧御随意」「The public is cordially invited to visit this garden」の看板を掲げ、三溪園を公開したのが明治三九年五月。それからちょうど一〇〇年後にあたる平成一八年一一月の文化審議会の答申を受けて、三溪園は国の名勝に指定されました。

 文化庁はこの指定に関して「近世以前の象徴主義から脱却した近代の自然主義に基づく風景式庭園として傑出した規模、構造、意匠をもち、保存状態も良好で、学術上、芸術上、鑑賞上の価値は極めて高い。また、当初の原富太郎(三溪)の構想通り広く公開され、多数の来訪者に活用されている点も高く評価できる」と述べています。開港以来、西洋文化の影響を受けながら急速に発展した横浜にあって、日本の自然と歴史に溢れた庭園を築いた三溪の美意識と、私庭を独占すること無く庶民の憩いの場として公開した三溪の思想が改めて評価されたといえます。
桜と塔


三溪園の桜と黒松
 開園当初、三溪園には二〇〇〇本もの梅が移植され梅園として知られていましたが、明治後期から昭和初期にかけて製作された絵はがきには桜の花が咲き誇る様子が数多く見られ、桜の名所としても親しまれてきたことが分かります。その中の一枚、三溪園に至る「桜道」を写した絵はがきには、沿道に茶店が立ち並び、桜を楽しみながら多くの花見客が三溪園に向かう様子がうかがえます。
 今も変わらず花の時季には多くの来園者を引きつけている桜は、一七・五ヘクタールの園内に約三〇〇本生育していますが、絵はがきの頃と比較すると少なくなった印象を与えます。戦後、山中の薪炭材が活用されなくなったためか、タブノキ、ヒサカキなどの常緑樹が優占し、しだいに桜をはじめとする落葉広葉樹や黒松が衰退したと考えられています。
 この大きく生育した常緑樹により桜や黒松だけで無く、三溪園を象徴する建造物である旧燈明寺三重塔の眺望が失われていました。この三重塔は当初、黒松が群生する小高い丘の上に建てられ、広大な庭園内のいたる所から望むことができる庭園風景の重要な構成要素となっていましたが、塔周辺や園内に点在する常緑樹が大きくなりすぎたのです。そのため、三溪園を管理・運営する財団法人三溪園保勝会では平成一八年に三重塔周辺の樹木を伐採し、跡地に桜や黒松を植栽する工事を実施しました。現在も、桜と黒松からなる本来の景観と三重塔の眺望を取り戻そうと、同会職員により樹木伐採と桜や黒松の植樹が実施されています。
観桜の夕べ


岐阜からやってきた二種の桜
 桜の植樹には染井吉野や山桜、枝垂れ桜のほか、開園一〇〇年を記念して原三溪の生誕地である岐阜から贈られた二本の桜が植えられました。
 一本は柳津柳津やないづ(やないづ)高桑高桑たかくわ(たかくわ)星桜星桜ほしざくら(ほしざくら)といい、花びらの先がとがり白色をした花全体が星形に見えることから名付けられた花です。この花は三溪の郷里である佐波とほど近い岐阜県柳津町高桑(現在は岐阜市と合併)で明治の中頃から育成されてきた品種で、花期が長く二週間ほど楽しめるという特徴があります。
柳津高桑星桜
(内苑入口と大池の中ノ島に植えられた)
 もう一本はうす(うす)ずみ(ずみ)ざくら(ざくら)で樹齢一五〇〇年といわれる国指定天然記念物「(ね)(お)だに(だに)淡墨淡墨うすずみ(うすずみ)さくら(さくら)」の二世の苗木です。書画を嗜んだ三溪自筆の風景画の中に出身地の名木であった淡墨桜の絵があったことが縁となり、園内では二本目となる淡墨桜の苗木が岐阜県本巣市より贈られ正門近くに植えられました。


絵はがき「三溪園の桜」

 


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