緑支部情報委員 栗原 裕 |
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"技能士コース 特別見学会" |
東叡山寛永寺境内周辺
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さる2月17日(土)午前10時より生徒他20名は上野に集合して天台宗の総本山東叡山寛永寺庭園見学会を開催いたしました。
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この寛永寺庭園見学にあたっては長年教育研修委員会副委員長の荒川先生が出入りされている関係で、何とか見学会の企画をお願いしたいと検討して参りましたところやっと実現する運びとなりました。 |
現在の上野の山一帯(約18万坪)は殆どすべてが寛永寺境内(天明年間)であったことにまず驚きその広大な敷地(元の敷地は36万坪)を散策しながら創建当時に思いを馳せますと徳川家康、秀忠、家光と3代に亘って将軍の政治的顧問の存在であった天海(慈眼大師)が寛永2年に建立し、江戸城の鬼門を守る祈願所から、のち芝増上寺と共に将軍家菩提所となった徳川家ゆかりの地。明治戊辰の役に彰義隊の本拠であったため建造物の大半は焼失するという運命をたどる。残されたものは僅か開山堂、清水観音堂、釈迦堂、東照宮、五重塔、徳川家4代家綱5代綱吉、8代吉宗等6将軍の霊廟と勅額門などに当時を偲ぶことができると先生から熱心な説明を聞く。
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この中に19箇所の子院があり今回その内の4箇所の庭を拝見させていただくことができた。番地は「上野公園」ひっそりと静かな通りに面し、まるで京都の裏通りかと錯覚してしまう。玄関庭・前庭の植え込み・門かぶりの松・まき等の美しい景観に見入ってしまった。松やヤマモモのすかしの見事さ国内ばかりでなく世界各国の石の扱い方など流石に京都で20年近く修行を積まれた腕前と美に対する感性は卓越したものと心酔いたしました。
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昼食後は霊廟の拝観と寛永寺本山に入り江戸幕府最後の15台将軍慶喜が蟄居した「葵の間」に座り説明をいただき棚に在った鏑木清方の「慶喜恭順」の日本画がその時の緊張の様子を今に伝えていた。
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その他境内の木々・石組み・など等教えていただきながらこの壮大な寛永寺を護る凛とした職人の姿を垣間見たように思います。
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また普段から硬い石ばかりを相手の荒川先生と思っていたら、説明の間中かわいらしい一人の少女が先生に纏わりついて離れないので聞いてみると、「その子がよちよち歩きの頃から庭に入っているのですっかりなついちゃって…。」と笑顔の優しい一面もありました。今日は1日本当にお疲れ様有意義な見学会を有難うございました。荒川先生のホームページもご覧下さい。
(庭工・荒川 http://www.niwaku.com) |
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