■石数寄者達との出会いの旅
決して不変ではない石に、永遠なる歴史を託した先人の足跡をたどる
緑 教育研修副委員長 荒川昭男
第五話 アナトリアの石数寄者達
三.アラベスク模様の墓石
墓石の前には石棺が置かれているが、どの石棺も蓋はなく、中の主は消え雑草が顔を出していた。猛者共が夢のあとに立つ石灰岩の墓石は、今はかつての白い輝きを失い、煤けた色に変色している。その情景は、この世に未練を残す亡霊達が、地の底からゾロゾロと這い出てきたものの、自分達の生きた時代とあまりにも大きい落差に戸惑い、どうして良いのかわからず、ただボー然として立ち尽くしているような、寂黙を帯びた悲しい雰囲気に包まれていた。アナトリアには、このような古戦場が無数にあるという。

その多くは墓もなければ痕跡もなく、今は自然の一部となり、何事もなかったように長閑な風景に同化している。
【セルジューク兵士の墓は長閑な風景のなかに残されていた】 【繊細なアラベスク模様が残る墓石はどこか寂しげであった】
四.小さなチョコレート
念願のヴァン猫に会えた。トルコ各地の町同様、ヴァンの町にも絨毯屋が多いが、その中のある店に、文字通り招き猫として、粗末なカゴに入れられていた。オッド・アイ、日本的に金目・銀目、左右の瞳の色が違うヴァン名物の珍しい猫である。接客がもう面倒なのか、カゴから出てはくれなかった。

出発にはまだ時間があるので、ホテルから出てヴァンの町を散策した。
昨夜、冷やかすだけで店を出た絨毯屋の前は、顔を横に向け足早に通りすぎた。

まだ飲み水を確保していないことに気づき、通りに面した一軒の小さな店に入る。奥に長い三方の壁には段々の棚があり、様々なスナック菓子が丁寧に積み上げられていた。店内は意外と小ぎれいにしている。10代の少年が2人店番をしていた。

ペットボトルを持ってレジの前に立つと、少年達が緊張しているのがわかる。
東洋系の人種など滅多に見ないのだろう。気がつくと、いつの間にか1人の紳士が私達の傍に立っていた。紳士は、上下の揃った背広を着てネクタイをきちんと締めている。

町の住民たちと風采が違う。白い豊かな一文字の口髭と、濃い眉毛が特徴の紳士には、どことなく気品があった。どうやら少年たちの態度からこの店のオーナーのようだ。紳士が手招きをして店の奥の棚を指差す。

【ヴァンの町で出会った温厚なクルド人の店主】

【猫好きの私にとっては感動の対面左右の瞳は
確かに違っていた】
意味が理解できずにあっけに取られている女房に、「水1本では商売にならないから他に何か買え」と、言っている等と勝手な解釈をして、一番小さなチョコレートを一つ握りレジに向かった。支払いのため小銭入れを取り出すと、年長の少年が自分の手の平を胸に当て、代金の受け取りを断る仕種をした。私は、瞬間「シマッタ」と思ったと同時に、自分の誤りを悔いた。

ヴァンの住民は、ほとんどがクルド人と聞いている。イラクから命からがら国境を越えてきた人や、アナトリアの荒涼とした山間部で、細々と生活しているクルド人達に比べると店主は恵まれた生活を送っているようだ。だが、余裕があるからの行為だけではないと感じた。
【ヴァン湖に忘れ去られたように残るアルメニア教会】 【アルメニア人の祖9世紀に興ったウラルトゥ王国
のヴァン城夕景】
小さなチョコレートを選んで良かったと思う反面、小さなチョコレートを選んだことで、心の狭さを見透かされたようで気恥ずかしかった。店主は私の心の葛藤など気にもせず、自宅のベランダに私達を案内し、チャイ(紅茶)でもてなしてくれた。クルド語もトルコ語も話せない私達と、終始無言で笑顔の店主。

15日間の旅で経験した極めて短い時間の出来事が、あれから長い年月私の心に居座ることになる。
五.箱舟と戦車
雨は40日間大地に降りそそぎ、大地は150日に亘って水に覆われ、ノアの箱舟にいたものだけが残った。その旧約聖書の洪水神話に登場するアララット山を、朝早くホテルのベッドを抜け出し眺めている。

標高は、富士山よりも2,000メートル高い5,156メートルあると言う。
富士山に比べ、裾野が高くしかも広いためか、それほど高いとは感じられない。
朝靄が消え、朝日を背に受けた雄々しい輪郭が、段々と鮮明になってきた。

箱舟の漂着に相応しい実に堂々とした存在感のある山だ。雪が残る山頂の向こうはアルメニア。東に35キロ行くとイラン。ここは国境に近い小さな町ドゥバヤジット。5千人の人口のほとんどがクルド人といわれている。あたりが完全に明るくなり、ホテルに戻りかけたときに、遠くから聞きなれないエンジン音が近づいてきた。

すると突然目の前の道路に、砲身をやや上に向けた戦車が轟音と共に現れた。

そして、あっという間に基地の方向に走り去った。幾つかのトルコ軍基地を通過し、整然と居並ぶ戦車を見てきたが、走行している戦車を見たのはこれが初めて。紀元前700年ごろの、旧約聖書の世界と現実の世界が、あっけに取られている私の目の前で、キャタピラの騒音を伴い重なった。

戦車の話の余談だが、今まで通り過ぎてきたトルコ軍基地の付近には、必ず検問所があり、下士官らしき軍人がバス内に乗り込んできて乗客に鋭い視線を走らせた。私は、禁止されている基地撮影の嫌疑をかけられぬように、そのたびにカメラをそっと隠した。バスの窓から基地内を覗き見ると、戦車がずらりと並んでいた。よく見ると、戦車の砲身は一両ずつ前後を向いている。国境だけでなく国内にも向けられているのだ。

国内で活動するクルドゲリラを意識しているのだろう。前門の狼、後門のトラのトルコ版ということなのか。
【威風堂々のネムルート山朝陽】 【聖書の世界に打ち込まれた無数の弾痕】
かつてこの地方は、アルメニア人とクルド人が共存していた。それが、オスマントルコ後のトルコ共和国、ロシア後のソ連、更には、ヨーロッパの大国などの思惑に翻弄され、紀元前1000年ごろからウラルトゥ王国を築き、この地に住んでいたアルメリア人は、アララト山の北東に追いやられた。クルド人は、大国が引いた国境によって、トルコ、シリア、イラク、イラン、アゼルバイジャン等に分散され、とりわけトルコでは、東部トルコ人と呼ばれ存在すら認められない民となった。一昨日、ヴァン湖の小さな島に残るアルメニア教会を見学した。石灰岩の切石を整然と積み上げた教会は、900年代前半に建てられたと伝えられている。多角形の円蓋(えんがい)と、アルメニア教会特有のトンガリ屋根。建物の壁面には、聖書の記述が彫られていた。イスラエルの小さな英雄ダビデと、ペリシテの巨人ゴリアト、アダムとイブ、禁断の果実をイブに食べさせた蛇、アダムとイブが裸体を隠すのに使ったイチヂクの木、他に聖人や動物などの浮彫が絵巻のように建物を被っていた。この浮彫は、ゴシックの大聖堂に見られる彫刻や、ステンドグラスの絵のような、一歩退き、俄か作りの敬虔さをもって見る必要はない。難解な聖書を童画的にわかりやすく説明している。司祭と信者と石工たちが和気藹々(わきあいあい)のなかで造りあげたと思われる、何かほのぼのとしたものが漂っていた。この様な、石工の気負いが感じられない仕事を見るのも楽しいものだ。

その童画の世界に無数の弾痕がのこされていた。かつてここで熾烈な民族紛争があったのだろう。親近感をおぼえる浮彫と、痛々しい戦争の痕跡。相反するものが共存する教会に、今は祈る人の姿はなく、忘れ去られた静けさだけが漂っていた。
(次号に続く)

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