振り返ってみると、15日間にわたるアナトリアのたびで、様々な出会いがあった。
ネムルートの墳墓、古戦場と兵士の墓。ヴァン湖に浮かぶ弧舟のようなアルメニア教会。日本の被爆を知っていた僻村で出会ったクルド人。シュールな雰囲気が支配するアニの遺跡。断崖の中腹にへばりついているようなスメラの僧院。
他にも記憶に残っているものがある。シリアとの国境に近い、旧約聖書に登場するハラン村の民家は興味深かった。石灰岩のコバを竹の子のように積み上げ、表面は藁を混ぜた泥土で塗りあげている。夏は最高気温が、50度にもなる過酷な土地で、風土に適応した夏涼しく、冬は暖かい家。中に入れてもらうと、外の暑さが嘘のように消えた。
樹木の話だが、ピスタチオの木を初めて見た。まだ青い小さな実を房状につけていた。これからは、ピスタチオの面倒な殻をむく度に、アメリカデイゴに似た葉と、柑橘系の樹形を思い出すことだろう。
ドゥバヤジットのイサクパシャ宮殿は、郊外の小高い山の上から、アナトリアの大地を見つめていた。17世紀に、この辺りを治めていたクルドの王が建てた、部屋数が366もあるドームとミナレット(尖塔)が目立つ宮殿。イラン、イラク戦争では、主が追放され廃墟になっていた宮殿で、イラン軍が野営をしていたとのこと。宮殿の軒からアナトリアの上空に、槍のように突き出ているガーゴイル(怪獣形吐水樋)には、まだ勢いが残っていた。
クルド語を話すことさえ禁じられている厳しい現実が存在する限り、クルドの末裔たちがこの宮殿に戻ることはないだろうと思った。 |

王宮から突き出た木製の
ガーゴイルとアナトリアの大地

高さ270の絶壁に造築されたスメラ修道院
ロシアの侵入によって廃墟となる |