■゛故藤巻保之輔氏を偲ぶ″
藤造園建設梶@篠原 英夫
(社)日本造園建設業協会、(社)横浜市造園協会で永年会長職を勤められ、短期間ではありましたが、当(社)神奈川県造園業協会の会長も勤めさせていただいた故人は、藤造園建設鰍フ創設者でもあり、永年この業界一筋で邁進してまいりましたが、本年八月三十日未明、俄かに発病し三時間後には帰らぬ人となってしまいました。前日の午前中の勤務を終えて元気で自宅へお戻りになられた後ろ姿が目に浮かびますが、人間の命の儚さを痛感する次第であります。享年八十三歳でございました。
なお、その後の社葬におきましては、協会員をはじめとする多数の方に御会葬賜りましてありがとうございました。

早いもので、亡くなりまして早二ヶ月が経過いたしましたが、七七日法要も無事終えられて、御遺族はじめ会社にも平穏が戻ってきております。三〜四年前より大病に罹り、入退院を繰り返すうちに、病気は癒えましたが、極端に足腰がお弱くなり、お好きな農場行きも回数が減り、同窓会等にも出席をお断りすることが多くなっておりました。しかし、私が申しあげるのもおこがましいのですが、老いてなお、向学心に燃え、頭脳明晰であったことは驚異的に思われることでした。
【故 藤巻保之 氏】

故人を偲び語る上において、皆様に能く知られるいくつかのことがございます。一に勉強家、一に倹約家、一に信義篤き人、そして良き家庭人であったと言えましょう。

勉強家とは、各会長を歴任する上で当然求められる知識、見識を貪欲に吸収し、なお且つ晩年には、排水設備責任技術者試験に挑戦し合格するということでした。亡くなる一週間位前から、これから雑学の知識をより得ようとしていたことです。

倹約家として名を馳せたのは、作業衣、軍足に革靴、革鞄というスタイルでしょうか。御自分の信念と確信は揺るぎのないものであったでしょうし、威風堂々としたものでした。会社の中の話で言えば、チビた鉛筆の使用、カレンダー等の裏紙利用等枚挙に暇が無い状態です。

信義に篤き人とは、これ又皆様に能く知られたことだと存じますが、私の知る限りにおいては、学友と戦友との厚き友情が心打ちました。

私的には、学友の御遺族が細々と経営する飲み屋に私共社員を連れて、ほんの一時間程度飲食したりすることもございました。気配りを感じたりもしたものです。

老いを迎えながらも、適度に過去を振り返り、未だ前向きに処していこうとする理想像を見ている思いがいたします。

良き家庭人はと言えば、晩年業界行事における懇談会等でも、健康的な飲酒を心がけられ、健康志向が顕著でありましたし、早めの御帰宅も励行されておられました。晩年、遊休土地を開墾し市民の為に横浜市特区農園を開設しました。

亡き会長の唯一の趣味と思しきものは、鮎の投網漁でした。良い時代でしたので、時として社員(私を含む)が運転し、相模川の上流へ馳せ参じたものでした。愛用の褌姿を拝見した時にはビックリしたものでした。

故人は、個人的には昭和二十年九月に正八位に叙せられ、昭和五十六年には建設大臣表彰、昭和五十八年には黄綬褒賞を受賞し、平成七年には勲四等瑞宝章を叙勲するという、恵まれた一生を送ることが出来ました。

これも偏に、本人の努力もさることながら、業界の皆々様の御支援の賜物と深く感謝申し上げる次第です。


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